こんにちは流山おおたかの森に住む皆様のコンシェルジュこたかです。
今日はこたかといっしょに、流山の町へ歴史探検に出かけましょう。お目当ては、新選組(しんせんぐみ)の足あとです。
「新選組って、京都にいた人たちじゃないの?」
そう思った方、よいところに気がつきました。京都で知られる新選組ですが、実は流山も、二人の大切な人物にとって忘れられない場所なんです。
その二人が、近藤勇(こんどう・いさみ)と土方歳三(ひじかた・としぞう)。どうして流山へ来たのでしょう。そして、この町で何があったのでしょう。 [参考:1]
難しい年号を覚えなくても大丈夫。まずは、二人と、流山に暮らしていた人たちのお話を聞いてみてください。
まずは登場人物! 近藤さんと土方さんって、どんな人?
新選組は、幕末の京都で町の警備などをしていた集団です。「幕末」は、将軍が日本を治めていた江戸時代の終わりごろのこと。世の中の仕組みが、大きく変わろうとしていました。
その新選組で「局長(きょくちょう)」を務めたのが近藤勇。「副長(ふくちょう)」が土方歳三です。役割をざっくり言うと、近藤さんがチームのリーダー、土方さんがリーダーを支えながら隊をまとめる人、と考えると分かりやすいですね。 [参考:14]
二人の名前を全部覚えるのが難しかったら、最初は「近藤さんと土方さん」で大丈夫。今回のお話では、この二人を追いかけてみましょう。
どうして京都の新選組が、流山へやって来たの?
戦いに敗れ、仲間と立て直そうとしていた
1868年、日本では、それまでの政府である江戸幕府の側と、新しい政府の側との戦いが起きていました。近藤さんたちは幕府の側です。
京都近くでの戦いに敗れた一行は江戸へ戻り、その後、今の山梨県でも戦いに敗れてしまいます。そして、今の東京都足立区にあたる場所を経て、流山へやって来ました。観光旅行ではなく、戦いの中での移動だったのですね。 [参考:1・2]
流山では、仲間を集めて隊を立て直し、会津、今の福島県の方へ進もうとしていたと考えられています。ただし、なぜ数ある町の中から流山を選んだのか、詳しい理由は分かっていません。 [参考:4]
こたかのひとこと:「どうして、ここだったのかな?」と気になったら、それが歴史探検の入り口です。分からないところがあるから、昔の手紙や記録が大切な手がかりになるんですね。
流山は、船と商いでにぎわっていた町
今度は、流山の町を見てみましょう。近くには江戸川があります。昔はこの川を船が行き来して、いろいろな荷物を運んでいました。流山は、みりん造りでも栄えた町です。 [参考:11]
近藤さんたちが隊の中心となる場所にしたのは、長岡屋(ながおかや)という酒造家でした。お酒を造る家です。このような隊の中心になる場所を、本陣(ほんじん)といいます。仲間たちは、町のお寺などにも分かれて泊まりました。 [参考:3]
お酒を造る家やお寺が、突然、隊の泊まる場所になったのです。「歴史の舞台」と聞くとお城を想像しますが、流山では人々が暮らす町そのものが舞台になりました。
流山に着いた、その翌日。二人に大きな転機がやってくる
近藤さんたちが流山へ入ったのは、当時の暦で4月2日。ところが、翌日の4月3日には、新しい政府の軍が流山を取り囲みました。
近藤さんは、相手の軍のもとへ自分から出向きます。これを「出頭(しゅっとう)」といいます。そして、捕らえられることになりました。 [参考:1・2]
近藤さんは板橋へ。土方さんは、その先へ
近藤さんはその後、今の東京都板橋区で処刑され、命を落としました。一方、土方さんは戦いを続け、翌年、北海道の箱館、今の函館で戦死します。 [参考:1・13]
流山は、近藤さんが亡くなった場所ではありません。いっしょに歩んできた近藤さんと土方さんが、別れることになった場所として知られています。 [参考:16]
二人が最後に何を話したのか、気になりますよね。けれど、今回調べた資料では、その言葉を一言一句まで確かめることはできませんでした。
こたかのひとこと:「また会おう」と言ったのかな。言葉が出なかったのかな。いろいろ想像したくなります。でも、これは今の私たちの想像。二人が本当に言った言葉とは、分けて考えましょう。
ちょっと待って。そのとき、町の人たちは?
二人のお話を聞いていると、つい新選組ばかりに目が向きます。でも、こたかは町の人たちのことも気になります。流山には、商いをする人も、家で暮らす人も、子どもたちもいたはずです。
博物館が紹介している「恩田家文書(おんだけもんじょ)」には、軍の動きや戦いの様子とともに、町の人々が近くの村へ逃れたことが記されています。「文書」は、昔の人が書き残した記録のことです。 [参考:3]
ここで少し、今の暮らしに置き換えて想像してみましょう。いつも買い物をする通りに、武器を持った大勢の人がやって来たら。家族と急いで別の場所へ移らなければならなくなったら。落ち着いて普段どおりに過ごすのは、難しそうですよね。
これは当時の誰かの気持ちを再現したものではありません。でも、「町の人が逃げた」という短い記録の向こうに、一人ひとりの暮らしがあったことは想像できます。
「町を守ろうとした」という話もあるけれど
流山市の観光案内には、近藤さんが町を戦火に巻き込むことを嫌って出頭した、という説明もあります。戦火とは、戦いによって起こる火災や被害のことです。 [参考:4]
ただ、近藤さんの心の中がすべて分かるわけではありません。また、「町を守ろうとした」という話から、「町には何の被害も混乱もなかった」とは言えません。町の人々の記録も、いっしょに読んでみたいですね。
こたかからのお誘い:お寺からお寺へ歩くときは、道のまわりにも目を向けてみましょう。昔の人も、ここで仕事をしたり、ご飯を食べたりしていたんだな。そう考えると、有名な人の名前だけでは見えなかった町が見えてきます。
小説やドラマのお話は、どこまで本当なの?
新選組を好きになったきっかけが、小説やドラマという方もいるでしょう。たとえば、司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』は、土方歳三の生涯を描いた作品です。 [参考:12]
物語には、人物の気持ちや会話を、作者が想像して描いた部分もあります。だから、心に残った場面が、そのまま昔の記録に残っているとは限りません。
こたかと歩くときは、次の三つに分けてみましょう。
- 記録で確かめられること:昔の文書などを手がかりに、何が起きたかを調べる。
- 言い伝えや考え方:そう伝わっている、そう考えられている、と受け止める。
- 作品の中の表現:会話や表情など、物語として描かれたものを楽しむ。
難しく考えすぎなくて大丈夫。「そのお話、何を見て分かったの?」と、手がかりを一つ探してみればよいのです。映画の場面を思い浮かべながら、現地の案内板を読む。そこから新しい発見があるかもしれません。
それでは出発! こたかと歩く、流山の歴史さんぽ
お話が分かったところで、今度は実際に訪ねられる場所を見ていきましょう。今回のおすすめは、流山駅から博物館へ行き、本陣の跡と二つのお寺を巡って、平和台駅へ向かうコースです。
休憩を入れて約2〜3時間の計画です。全部回らなくても大丈夫。小さなお子さんとなら、博物館と陣屋跡の二か所から始めても楽しめます。
① 流山市立博物館|昔のことは、どうやって分かるの?
まずは博物館へ。「昔のことなのに、どうして分かるの?」という疑問の手がかりを探しましょう。新選組コーナーには、昔の文書に基づく説明や、本陣とされた建物の階段が紹介されています。 [参考:3]
こたかの見つけてみよう:「この展示は、何の手がかりから分かったのかな?」と一つ選んでみてください。紙に書かれた記録も、建物の一部も、昔を知るヒントになるんです。
博物館のお出かけメモ
- 場所:流山市加1丁目1225-6。地図で場所を確認
- 開館:9:30〜17:00。常設展示は無料。特別展は有料の場合があります。
- お休み:月曜(祝日の場合は直後の平日)、館内整理日、12月28日〜1月4日など。公式カレンダーを確認してください。
- 公式案内では個人の通常見学に予約指定はなく、団体は事前連絡が必要です。電話:04-7159-3434。 [参考:7・8]
トイレ・エレベーターのこと
多目的トイレ、車いす対応の出入口やエレベーターが案内されています。歩き始める前に、ここでトイレを済ませておくと安心です。利用する場所は受付で確認してください。 [参考:7]
② 近藤勇陣屋跡|「ここにあった」を探してみよう
次は、近藤勇陣屋跡(じんやあと)へ。「陣屋」は、ここでは隊が拠点にした場所のこと。「跡」は、以前そこにあったことを表します。名前を見るだけでも、少し意味が分かってきましたね。
ここでは碑や案内を読んで、昔の本陣があった場所を確かめます。当時の本陣の建物は、今は残っていません。観光協会の案内では、建物を支えていた土台の石が、土蔵前の休憩スポットに移されています。 [参考:6]
こたかの見つけてみよう:案内板を読んだら、顔を上げて、まわりの道も見てみましょう。建物がなくなっても、その場所で起きたお話は、こうして伝えられるんですね。
③ 同じ場所にある秋元家住宅土蔵|この蔵、実は引っ越してきました
陣屋跡では、白い壁の秋元家住宅土蔵(あきもとけじゅうたくどぞう)も目に入ります。土蔵は、土の厚い壁などで囲んだ倉庫です。
「近藤さんたちは、この蔵にいたのかな?」と思いますよね。ところが、この蔵は、後の時代に別の場所から移されてきた建物なんです。近藤さんがいた本陣そのものではありません。 [参考:5]
大きな建物が引っ越してきた、と聞くと、ちょっと驚きませんか。新選組のお話とは別に、この蔵にも、流山の商いとともに歩んだ歴史があります。
2026年4月からは内部の公開も始まりました。市の見学記録では、建物を直した工夫や、新選組のパネルが紹介されています。公開日に出かけたら、建物のつくりにも注目してみてください。 [参考:5・15]
陣屋跡・土蔵のお出かけメモ
- 場所:流山市流山2-109-9。陣屋跡と土蔵は同じ立ち寄り先です。地図で場所を確認
- 土蔵内部の公開:当面は3〜6月・9〜11月の土曜、日曜、祝日、10:00〜15:00。天候等で変わる場合があります。
- 通常公開日の個人見学について、市の案内に事前予約の記載はありません。期間外の見学は、公式案内から流山史跡ガイドの会へ申し込みます。
- 料金は参照した市の公開案内に記載がありません。内部見学や個別案内の条件は、事前に確認してください。 [参考:5]
土蔵の2階へは急な階段があります。小さなお子さんと一緒なら、係の方に声をかけ、無理のない範囲で見学しましょう。 [参考:15]
④ 光明院|みんな、どこに泊まったのかな?
次は、光明院(こうみょういん)へ。新選組の仲間が分かれて泊まったお寺の一つです。このように分かれて泊まることを「分宿(ぶんしゅく)」といいます。 [参考:9]
本陣にみんながぎゅうぎゅうに集まっていた、と想像していた方には、少し意外かもしれません。町にいくつかの泊まる場所があったのですね。
ここには、みりん造りに関わった秋元双樹(あきもと・そうじゅ)のお墓や、双樹と小林一茶がつくった句を刻んだ石碑もあります。一茶は、俳句を作った人です。新選組を追いかけてきたら、みりんや俳句のお話にもつながりました。町の歴史は、いろいろなところで結びついているんです。 [参考:9]
- 場所:流山市流山6-651。地図で場所を確認
- 立ち寄りの目安:10分ほど。今もお参りをする大切な場所です。お参りや法要の邪魔にならないよう、静かに見学しましょう。
- 建物内部の公開・料金・案内予約は、参照した観光案内には記載がありません。外から参拝できる範囲を基本にしてください。
⑤ 流山寺|もう一つの泊まる場所へ
続いては、流山寺。読み方は「りゅうさんじ」です。このお寺も、新選組の仲間が分かれて泊まった場所として紹介されています。 [参考:10]
こたかと振り返ってみよう:陣屋跡から、ここまでどれくらい歩いたでしょう。実際に歩くと、隊の人たちが町のあちこちにいたことを、距離でも感じられますね。
当時の部屋をそのまま見られる場所、というわけではありません。ゆかりの場所を訪ねて静かにお参りしたら、帰りは平和台駅へ向かいましょう。
- 場所:流山市流山7-579。地図で場所を確認
- 立ち寄りの目安:10分ほど。平和台駅までは、公式案内で徒歩約12分。
- 内部の見学や案内を希望する場合は事前確認を。参拝・法要を優先してください。 [参考:10]
お出かけ前に、ここだけチェック
出発は「流山駅」。おおたかの森駅とは別の駅です
このコースの出発点は、流鉄流山線の流山駅です。流山おおたかの森駅とは違うので、乗り換えを調べるときに気をつけてください。
おおたかの森からは、博物館公式ページにあるバス案内を確認すると便利です。TXで流山セントラルパーク駅へ行き、博物館まで歩く方法もあります。そちらは公式案内で徒歩約22分。子どもと歩く場合は、展示を見る前に疲れすぎないよう、余裕を持って計画しましょう。 [参考:7]
歩く時間と休憩の目安
| 区間 | 歩く時間の目安 |
|---|---|
| 流山駅 → 博物館 | 約7分(公式案内) |
| 博物館 → 陣屋跡・土蔵 | 10〜15分を確保 |
| 陣屋跡 → 光明院 | 15〜20分を確保 |
| 光明院 → 流山寺 | 5〜10分を確保 |
| 流山寺 → 平和台駅 | 約12分(公式案内) |
公式案内以外の時間は、地理的な位置関係をもとに余裕をみた計画値で、現地実測ではありません。信号待ちや子どもの歩く速さによって変わります。博物館で30〜40分、陣屋跡・土蔵で15〜25分、各お寺で10分ほど、途中に15〜20分の休憩を入れた計画が目安です。 [参考:7・10]
本町のカフェなどでひと休みするのもよいですね。飲み物を持ち、入るお店の営業日も確認しておきましょう。各史跡やお寺の来訪者用トイレは確認できていないので、最初の博物館で済ませておくのがおすすめです。
車の場合は本町のコインパーキングなどを利用してください。寺院やお店の駐車場を、散歩の間ずっと使うことは避けましょう。 [参考:11]
雨の日や、少しだけ歩きたい日は?
少しだけ歩くなら:流山駅と陣屋跡の往復で30〜45分ほどの計画に。土蔵の内部を見るなら、公開日を確認してください。
雨の日なら:博物館を中心に楽しみ、外を歩くのは無理のない範囲で。土蔵は毎日開いているわけではありません。
こたかのひとこと:全部回ることがゴールではありません。「へえ、そうだったんだ!」を一つ見つけられたら、その日のお散歩は大成功です。
帰り道に、こたかとお話ししてみませんか
今日のお話で、いちばん気になったのはどこでしたか。二人の別れでしょうか。町の人たちのこと? それとも、引っ越してきた蔵でしょうか。
流山の歴史さんぽで大切にしたいのは、「何年に何があった」を全部覚えることよりも、この町で暮らした人や、ここを通った人に、少し興味を持ってみることです。
近藤さんと土方さんだけでなく、名前の分からない町の人たちにも、それぞれの一日がありました。今は静かな道も、そう思いながら歩くと、いつもと違って見えるかもしれません。
こたかといっしょに見つけた「なぜ?」を一つ、持ち帰ってみてください。家族や友達と話してみると、次のお散歩で探したいものが増えそうですね。
さて、今回はここまで…。
もっと知りたくなった方へ|参考資料と見学案内
本文の歴史上の月日は、当時使われていた旧暦です。今のカレンダーとは日付が違います。見学日の案内は現在の暦によるもので、2026年10月30日に公式公開情報を確認しました。休館日・料金・公開条件は、お出かけ前に公式ページでも確認してください。
この記事は、次の公開資料をもとに、こたかが案内する形で書いています。現地での訪問取材や所要時間の実測は行っていません。こたかの呼びかけや、想像してみる場面は本記事の表現で、歴史上の人物の発言を再現したものではありません。
本陣の呼び名、人数、移動経路などには、資料や研究による違いもあります。詳しく知りたい方は、市立博物館の説明を入り口に、ほかの記録も見比べてみてください。ガイド付き散歩を希望する場合は、最新の募集や受付条件を確認しましょう。 [参考:3・14・16]
- [1] 流山市「新選組と流山」
- [2] 足立区「金子家文書」(PDF)
- [3] 流山市立博物館「常設展示(13 新選組コーナー)」
- [4] 流山市「近藤勇陣屋跡」
- [5] 流山市「秋元家住宅土蔵」
- [6] 流山市観光協会「近藤勇陣屋跡」
- [7] 流山市「施設案内 博物館」
- [8] 流山市立博物館・開館カレンダー
- [9] 流山市観光協会「光明院」
- [10] 流山市観光協会「流山寺」
- [11] 流山市観光協会「流山本町江戸回廊」
- [12] 新潮社『燃えよ剣〔上〕』作品紹介
- [13] 函館市公式観光情報「土方歳三と箱館戦争、激戦の歴史を訪ねる」
- [14] 流山市「流山をA・RU・KU 新選組の足跡をたどる(R6年度)」
- [15] 流山市「秋元家住宅土蔵の内部を探る(R8)」
- [16] 流山市「新選組流山隊が歴史の舞台を案内」(2013年の記録)








